#1 塚越暁|心と体の趣くままに過ごすことを大切に

名前

塚越 暁 (つかこし あきら)

仕事

ガクチョー

場所

神奈川県逗子市・村や

 
 

第一話のゲストは原っぱ大学の代表、ガクチョーこと、塚越暁さんです!

原っぱ大学は、神奈川県逗子市からはじまり、千葉と大阪の3拠点で、大自然の中で子どもと親も思いきって遊ぶ場所を作り上げた「学校」です。

ガクチョーと出会ったのは1年ちょっと前。自分が鎌倉に引っ越してきて、同僚が原っぱ大学という遊ぶ場所があるよと教えてくれた。初めて参加したのは、「どろどろ泥んこ祭」というイベントで、とんでもない高い泥の滑り台から、絶叫しながら滑りまくって、とても楽しかった。

今回のエピソードも原っぱ大学の逗子フィールドで収録しまして、彼は、焚き火を囲んでパンを焼きながらサラリーマンの人生を考え直すきっかけや、ルールがない遊びの大切さなどなど、色々語ってくれました。皆さんも楽しんでもらえればと思います。

撮影:Florian Gerlach

 

ガクチョーとの対話の抜粋

—ガクチョーと出会ったのは1年ちょっと前。その時から印象的だったのは、ガクチョーの笑顔。何でいつもこんなにハッピーですか?

え!?(笑)よく分かんないですけど、自分が今仕事としてやってることと、自分が好きなことと、自分が社会に対してっていう大袈裟だけども、人に価値を提供したいみたいなことのずれ幅が少ないというか、多分自分自身のまんまでいられる仕事にありがたいことに巡り合えているというか。そういうことなのかなって思いますね 。

—仕事とは?

今マルコが来てくれている村やっていう神奈川県逗子市の山の中にあるフィールドと、千葉と大阪に拠点を持っているんですけども、親と子供がそこに来て、思い切り遊ぶという場を提供しているっていうのが一番メインでやってる我々のお仕事ですね。

ポイントは大人も子供もっていうところですね。要は回る子の子供が楽しければ、大人は外側で見守ってるだけっていうのは結構いっぱいあると思うんだよ、でもそうじゃなくて、大人自身も気持ちのいい時間を過ごす。大人と子供の境界線みたいなものを取り払っていくっていうこと。

—思い切って遊ぶって?

「心と体がその時の気持ちの趣くままに過ごすっていうことが遊ぶってことだと思う。」

それは何でもいいと僕は思う。マルコみたいに泥んこの滑り台で遊んで全身ドロドロになったのも一つの形だし、別に泥んこにならなくてもこうやって焚き火を見つめながら語り合うでもいいし、一人のんびり本を読むでもいいし。要は心と体が自分のその時の気持ちの趣きままに過ごすっていうことが遊ぶっていうことだと思う。

それってなかなか今の日本ではあるようでないというか。遊びもその遊びは何のためにやるんですか?その遊びで成長できますか?ちゃんちゃらおかしいと思うんだけれども、常に上昇とか変化とか、成長とかそういうものを求められている。それは我々大人も子供もそういうものから一回フリーになって、その瞬間の自分のままで過ごせるば?そういうものに価値づけしてサービスし、提供しているのはる原っぱ大学っていう場です。

—なんでこういうことをしようとしたんですか?

「子供原っぱ大学」を立ち上げたのが2012年。それまで僕は会社員で10年ぐらいをやって、何の疑問もなく大きな会社のシステムの中で働いてたけど、2011年の東日本大震災は凄く大きなきっかけで、あの時僕が30代前半で、自分のキャリアを見つめ直したりするようなちょうどいいタイミングだった。俺はこのままここにいていいんだっけ、何のために生きているのか、 よく分かんなかったんですよ。まあ、この会社で別に偉くなりたい訳じゃないってのは間違いないけど、 この会社の看板を脇に置いた時に、自分が何をやれて何がしたくて、どうこの世の中に貢献していくというか、何をやっていくのかっていうことがまるでないんっていうことに気付いちゃったんですよね。

それは衝撃な怖い体験で、この会社に続けるのはないかもと思ってリンクトインに登録する時、自分が何ができるか?ってよく分かんないです。まあ、リクルートっていう会社にいたんですがリクルートの塚越ですっていう名称を出せば何か話を通るんで、それなりに管理職ぐらいにはなったマネジャーとかになった確かなので、そういう意味では結構偉そうな顔できるんだけども、それがないってなった時に、お前は何ができて、何がしたくてっていうふうに自分に問うと、 空っぽだったんですよ。やべぇーと思った。

結局自分の大切なことと商売を紐づけて考えようとすると苦しいから、お金を稼げるとマネタイズできるかどうかっていうことは全部置いといて、自分が気持ちいいか?人が喜ぶか?それだけを考えてみました。その時僕の町(神奈川県逗子市)に戻って、子供の頃よく山の中にサバゲーやったり、探険したり、秘密基地を作って近所のおばちゃんに怒られたり、そういうのはすけぇ好きだったという記憶がバット蘇ってきた。俺はそっちじゃんと思った(笑)!

「(原っぱ大学は)今思い返してみれば、苦しかった自分に向けて自分が作ったサービスだ。」

もう一つは、子供が幼稚園に入るまで僕は東京に住んでた。 東京時代はもう子育て本当嫌いでさ、平日は死ぬほど働いて、休日はうちの奥さんにあの公園へ息子を連れてきなさいと、公園行くわけですよ。そうするとずっと砂場で同じ遊びをするとか、滑り台120回ぐらい滑り回ると、全て同じことを繰り返すとか、もうつまんなくて苦痛でしかなくて、本当嫌だったんです。でも逗子に帰ってきて、息子とサーフィンやったり、焚き火やったり、秘密基地作るみたいな、自分が好きな遊びを息子と共有する時間は抜群楽しかった訳ですよ。

僕はこの町で生まれ育ったから、どこのフィールドでどうやって遊べばいいかっていうことは自分の中に染み付いているからそれができるんだっていうことに気付いた。あー 僕にとってはこの町でこうやって遊ぶのは当たり前なんだけど、東京に暮らすと、こういうことは全然できないんだ?かつ自分みたいな東京で暮らして東京で子育て、ぶっちゃけしんどいですみたいに思ってるお父さんお母さんに、俺はしんどかったんだけど自分がこうやって遊んでそれを一緒に巻き込んじゃったらすっごい楽しいじゃんってことに気付いたんですね。それを提供してみよっていう風に思ったのが、最初の「子ども原っぱ大学」でした。

今思い返してみれば、自分が救われたかったというか、苦しかった自分に向けて自分が作ったサービスだね。

この後、原っぱ大学を持続的なビジネスにするまでの経緯や、なぜ原っぱは最近までビジョンがなかったかなどについても語っています。ワクワク考えさせられる会話の続きは、ポッドキャストでお聞きください。


Marco

ガクチョーは30代半ばで大震災を機にサラリーマンの生活から卒業して独立した。その後10年ほど費やして、試行錯誤しながらやってきた。この話を聞いたとき、自分も35歳の今、コロナで色々考え直すため独立したということを気づいて、まじガクチョーと同じく、これからの10年間は悩み続けるか?とビビる一方、これから自分にとって大切なことを探しに行くのも全然遅くないと勇気をもらった。あと、焚き火で焼いたチーズとベーコンのバゲット、とても美味かった。ガクチョー、いろいろ有難うございました!

Kensuke

偶然にもガクチョーさんが以前働いて会社は、自分が新卒で入社し、6年近く働いた会社でした。自分も自分なりに悩んだり苦しんだりしながら2019年末に退社し、違う道を今も模索している身として、ガクチョーさんの話に勝手に強烈なシンパシーを感じながら聞かせてもらっていました。経済的な規模の追求をすることなく、自分の心とズレのない仕事をしながらも、事業としても成立させる、というのは自分にとって理想的な生き方で、それを体現しているガクチョーさんのお話を聞けて本当によかったです。ありがとうございました。

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