#4 加藤エイミー |日本の美しさは日用品にある

名前

加藤 エイミー (かとう えいみー)

仕事

コレクター、作家

場所

東京都港区・Blue & White

 
 

今回のゲストはBlue & Whiteの経営者、加藤エイミーさんです。Blue & White は、1975年に東京の麻布十番で加藤さんと彼女の友人たちが、日本の伝統的なものが消えてしまう前に救いたいという気持ちから始まったお店で、手ぬぐい、焼き物、おたふくなど、全国からの手作りの工芸品を販売するセレクトショップです。

お店を通して職人さん達の仕事を光を当てたり、著書を通して田舎の良さを発信したり、日本の素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたい気持ちがインタビューで強く伝わってきました。

お店を40年以上続けてもなお、日常生活でありふれたものから日本の美しさを感じでいる加藤さん。それはなぜか、そして、これからBlue & White として挑戦したい事は何かなど、幅広く聞かせていただきました。

撮影:Kohei Watanabe

加藤さんとの対話の抜粋

ー いつも加藤さんと英語で話してるけど、今日は日本語でお願いします。

あんまり自信がないけれども頑張ってみます(笑)。

ー ちょっと遡ると、加藤さんが日本に初めて来たのは1960年代ですね。

そうですね。16歳の時変な日本人と出会って、その彼は自信満々で日本の良さを話してくれて、「あなたはマサチューセッツという狭い地方しか知らないから、日本に行ってみたらどうですか?」って誘われました。そして、1962年大学卒業したら、20歳の時、1年来ましたね。いや、10ヶ月ぐらいでした、その後の2ヶ月はあの彼と結婚して、子供4人の母になりました(笑)。

ー 20歳の時アメリカから日本に来て、どんな印象が残りましたか?

とっても驚いた!日本はものをすごく大事にして、物も少なかった。一番最初に、日本の家族と一緒に住んでいった時、「お風呂はどうですか」と聞かれて、まだ早いじゃないかと思ってお風呂場に行ったら、丁度お婆ちゃんがお風呂から出て来たところ。裸なお婆ちゃんが「お湯まだ入ってるよ、どうぞ」って言われて、へー同じお湯に入りますかとびっくりしました。それからそれぞれの家族が同じお湯に入って、翌日お湯が水になって、今度は洗濯物にしたり、お庭にしたりしました。すぐ言葉を習わなかったけど、勿体無いというという言葉を学びました。そして、植木屋さんとか、大工さんの半纏(はんてん)とか、いろんな人たちが素晴らしく青と白を使ってびっくりしましたね。

ー それはお店を立ち上げたきっかけですか?

確かに始まりは46年前(1975年)ですね。日本のお友達とイギリスのお友達と私女性三人で、合わせて十人の子供もいます(笑)。当時の日本人は新しいものとか海外のブランドとかに憧れて、古い物が汚くていらないっていう気持ちだったから、そうすると日本の古い伝統的なものがなくなると心配した。ですからこのお母さん三人が急いで動き出して、やらないと日本自体がなくなるじゃないかと思っていましたね。捨てられそうなものを喜んで拾って、このお店に入れて、古い日本と新しい日本をできるだけ混ぜて楽しもうと思いました。友達二人はもうやってませんけど、私は私は子どもたちの力で何となくまだ頑張ってます。

「お尻が軽いか何か分かんないけれども、まだまだ頑張ってる職人さんたちがいるから、行って見ようという気持ちがこの45年間ずっと続いていました。」

ー お店の名前はBlue & Whiteという、青と白二色にした理由は?

日本の伝統の手作りものを全部紹介したいと思いましたけど、お店はとんでもない小さいところですから、どういう風にできるかなと考えた時、インディゴ(藍染)がすごくあったし、陶器も青と白の染付があったので、「Blue & White」に小さくしようとした。自分でもちょっと狭いかなと思ったら、日本の青と白がものすごく広くて、死ぬまでも切りが無いぐらいです。今でも新しいところを探してます。日本は狭い国かどうか分かりませんけど、日本のクラフトは広くて、他の国に負けません。

ー どこからものを手に入れますか?

一番最初は、職人さんを知らなかったから、結構時間がかかりましたけれども、デパート行ったり、展示会行ったり、レストラン行ったり、色々のところ行ってました。「すいません、これはどこで作りましたか、連絡先教えていただけますか」、「この素晴らしい徳利はどこのものですか」とか、向こうが喜んで知らせてくれます。私は日本の旅行が大好きで、何と言ったらお尻が軽いか何か分かんないけれども(笑)、まだまだ頑張ってる職人さんたちがいるから、行って見ようという気持ちがこの45年間ずっと続いていました。

日本人は私に対して本当にやさしい。どんな田舎に行っても、向こうの言葉はどんだけ訛りが強くても、関係なく話してくれる。こんな変な、訳わかない人って傑作と思われてるかもしれない(笑)。

ー 青と白の民芸品だけじゃなくて、田舎の家、縁起物など、日本の伝統について本もいっぱい書きましたが、趣味沢山ありそうですね。

間違いない欲張りです(笑)。でもそれは日本に来てから火が付いた気がします。私は本当に縄文時代の人と思います(笑)。日本って面白いものがあり過ぎて、ほとんど全部興味がありますね。

「人間は人間さをみたいから、上手すぎると職人の心が見えなくなってしまう。だから、私は必ず単純な田舎くさい、ファンシーじゃない方を選びます。」

ー 面白い、面白くないって選択基準がありますか?

私の中にはありますよ!子供達はそうと思って無いですけど(笑)。やはり機械のものはあんまり好きじゃない、手作りのものが好き、光るものはあんまり好きじゃないね。あとはユーモアがある、変な物が好き。勿論上手さが欲しいけれども、人間は人間さをみたいから、上手すぎると職人の心が見えなくなってしまう。ですから、ソフィスケイテッド(Sophisticated、洗練された)、洒落たものより、できるだけ単純な田舎くさい、ファンシーじゃない方を必ず選びますね。

ー 加藤さんが下手なところはどこですか?

全部下手だよ私(笑)。不器用で、何も作れない。ちょっと自信があるのは自分が好きなものを選ぶこと。他の人が好きじゃないかも分かりませんけど(笑)。

ー お店は40年以上をやってきて、どこで日本の素晴らしさを一番感じていますか?

職人の器用さですね。日本人は手が先に生まれたと思います。手の使い方がとても上手で、ユーモアもありますし、体の中に美的センスも入ってます。それは素晴らしいですね。

ー これから挑戦したいことは?

できるだけ自分のコレクションのものを増やして、どうするか分からないけれども、もっと人に見せたいと思ってます。一番大きいな夢は、布の美術館を作りたいですね。「フレンズ」という名前をつけて、今のモダンな職人さんの作品と昔のコレクションを全部まとめて、大きいな場所で展示したいです。そうすると、外国から勉強したい人が来ると勉強できますし、若い人たちも日本の伝統のものを習いたい時そこでできます。日本は布と糸の国ですから、日本人はそれを忘れてはいけません。お金、場所、力とか色々要りますけれども、それはやりたいですね。


Marco

アメリカで生まれ育った加藤さんは、自分がクレイジーだと自負しています。そのクレイジーさの裏には、彼女が日本の伝統文化に対する溢れている情熱ではないでしょうか。彼女と話すと、心の芯まで温かくなる気がします。そして、加藤さんがインタビューの日に、サングラスまで全身blue & whiteでカッコ良さすぎる!

Kensuke

出身はアメリカだけど、日本人として育った自分よりも長く日本にいて、深く日本を知っている加藤さん。そんな彼女だからこそ気づく日本の良さや、ここ数十年で日本が失ったものの話は、非常に興味深かったです。

 
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