#8 寒川一|不便と手間を楽しむ、「待つ」ことの豊かさ

名前

寒川 一 (さんがわ はじめ)

仕事

アウトドアライフアドバイザー

場所

神奈川県鎌倉市

 
 

今回のゲストは寒川一さんです。寒川さんは、北欧のアウトドア用品を中心に扱うお店、UPI OUTDOOR PRODUCTSのアドバイザーを務めたり、災害時に役立つアウトドアスキルをワークショップや書籍を通じて広めたり、焚火道具のブランドを鉄職人の友人と立ち上げたり、アウトドアライフアドバイザーとして全国で大活躍している方です。

香川県出身で、14歳の時、キャンプ道具も知識もほとんどないまま自転車で四国を一周した寒川さん。

インタビューでは、なぜその旅がいまだに彼に影響し続けているのか、なぜ不便で手間のかかるアウトドアスキルが楽しいのか、そしてなぜ「衣食住」という言葉が自然災害時に生き残る鍵となるのかなど、色々考えさせられる一時間でした。

撮影:Yosuke Misaki

寒川さんとの対話の抜粋

— 最近寒川さんの著書『アウトドアテクニック図鑑』を拝読しました。この本に書かれていた、「不便を楽しむ」と「手間のかけ方」という言葉は、寒川さんがアウトドアライフに対する考え方やアプローチをよく表していますね。

それは時間の使い方の一つだと思うんですよね。世の中にいろんな価値観があると思うけど、一つの価値が便利になっていくこと。

例えば僕の母親はもう90歳なんですけど、彼女は4人姉妹の一番下で、一番小さい人が毎日かまどで火を起こして、お風呂も薪を拾ってきて沸かす役目で、すごい時間がかかるんですよ。冬でも雨が降ってる日でも、ご飯食べないわけにいかないから、拾ってきたものとかいろんなもので火をつけて、それを毎日毎日やっていると、当然すごく上手くなるんですね。だけど、その一方でこんなに苦労して、毎日朝から夜まで自分がこれに時間使ってるっていうことがもっと楽にできないのかなあってずっと思ったわけです。

それが、僕らの母親になった頃、ガスに変わった。それまで皆当たり前のように火をつけて、ご飯を作るということが、ガスのお陰でもう毎日毎日苦労しなくても済む。雨の日でも濡れてても火はつくっていう安心感。もう本当に嬉しかったって母親が言いましたね。

そこから以降は、ガスから今度IHヒーターになって、僕の母親は全部体験したんですよね。

この間、僕の本を作るのに、母親と2人で焚き火をした。昔の話をいろいろしたら、彼女が「火を起こした頃が良かった」って言うんですよ。「え、なんでよかったの?もっと便利になった方がいいってどんどん変えてきた今が、一番いいんじゃないの?」って聞いたら、全部体験して、今振り返ったら、あのとき火を起こす時間がすごく豊かな時間だったと、決して悪いもんじゃなかったと言いました。

「自分の大好きなことに時間を使う。待つことでさえ、豊かだなって最近思えるようになった。」

— 言われて見れば、確かに便利を追求すればするほど、豊かさとのバランスが崩れがちですね。

世の中の流れに任せていると多分便利の方がどんどん大きくなっていくですね。そこは自分で選択しないと駄目だなと思う。

不便っていろいろあると思うんだけど、例えばコンビニエンスストアに行って、もし夜中に店員さんが一人しかいなくて、延々と待たされたら、皆イライラするよね。待つっていうことに対して、何の価値もない、何もいいことじゃないっていうふうに思うわけです。

時短っていう言葉があるんですよね。インスタントラーメンとか、インスタントコーヒーとか、みんな時間を短縮して、じゃあ、その短縮した時間はあなた何に使ってるって聞かれたら、うんってみんな別にそれを有意義に使ってるわけではないですよね。ただ時間が短いのがいいっていうことに、何か目的があって時間が短いんだったらいいんだけど、そうじゃなくて、時間を短くすることが目的になってたりするわけですよ。

待つことでさえ、豊かだなって最近思えるようになった。例えば、今僕はレンメルコーヒーていうラップランドののコーヒーを淹れることが多いんですけど、コーヒーになるのに結構待つんですよ。何か時計見ながら待つんじゃなくて、ただ空眺めたり、木を眺めたり、何か海の波を眺めたり、自分の目の前にある自然のものを待つ間に眺めるんですよ。そうすると、自分が今いる場所、環境とか、すごくインプットされるんですよね。そういうことをしながらコーヒーが出来上がっていく。

その豊かさで出来上がるコーヒーはもうまずいはずがないっていうか、絶対美味しいコーヒーができるだろうなと思うんですよね。なんでかっていうと、待ってたから。だから、自分の大好きなことに時間を使うってことが、人を一番豊かにしてくれること、それを何かをショートにしても、何の意味もないなって思うんですよね。

もちろん今の世の中に生きてるんで、僕インスタントコーヒーも飲むし、コンビニで並ばされるとストレスも感じるんですけど、そこでやっぱり思い出したいと思うのは、もう僕らはもっと時間を何かゆったり使わないといけないという気持ち。そんなに縮めて縮めてどうしたいのっていうことですよね、その分人生が伸びるわけでもないし(笑)。

「『衣食住』ってシンプルなワードなんだけど、災害時に置き換えると、人の生きていくための優先順位に表している。」

— 寒川さんは現在アウトドアライフアドバイザーとして、いろんな形で活躍していますが、原点は中学生頃、自転車で四国を一周した1000キロの旅ですね。利便性に対して、その時と今の考え方はどう変わりましたか?

僕は14歳ぐらいで、自転車で旅行に始めたときは、道具がほとんどなくて、ないっていうのはお金もないんだけど、物もそもそもなかった。今みたいにアウトドアショップもなかったし、アウトドア用品もほんのちょっとしかなかった。

でもあれがないから行けないとか行かないではなくって、行きたいっていう気持ちの方がすごく強かったんですよ。行ってみたいっていう目的に対して、自分をサポートしてくれるものが何があるかっていうことになるんですよね。選択肢がちょっとしかないから、家で使ってる食器とか、普段使ってるものをバッグの中に全部入れて、とにかく家を出て2週間旅行したんです。

その時はあんまり深くは考えてないんだけど、今僕は59歳になって、14歳のときの自分のことを時々考えるんですよね。例えば今こんだけ道具とかいっぱい持ってて、火熾しとか、人に偉そうに何かを教えているけど、14歳の僕はそういうことって、何も小道具も知らないし持ってないし、テクニックもなかったのに、2週間全く自分の力で、少ない道具で、達成したんですよね。当時は自覚がなくて、俺よくやったなとか、そういうことも特にはなくて、やりたいからやったっていう記憶しかないんだけど、今59歳になってそれを振り返ると、14歳の自分に完全に負けてるな。

今だって、あそこに行くのにあれがないといけないとか、雨降ってるからこれがないと駄目だとか、本当はそうじゃないっていうふうにずっと思っていたのに、ものを持てば持つほど、制約がかかる、自分の中に弱さが出る。

例えば14歳の僕がやった旅行と全く同じスタイルで旅行してって言われたら多分できないと思う。自分の経験の中に、こういうものを使ってきたし、それがないことがどんだけつらいかとか大変だってこと知ってるから。14歳の僕は知らなくてやってるからやれたんですよ。

14歳の自分を思い出すとすごくそのときの自分をリスペクトしてます。一番完成してたなって思う。時々、1人でキャンプして、何か道具を使ったりときにイメージとして、14歳の自分が横にいるような気がするんですよ。「そんなのないとできないの?」みたいな、馬鹿にされてる感じがすごくする(笑)。

— 現在アウトドアライフアドバイザーとして、災害時のアウトドアスキルの活用についてよくお話されていますね。そのきっかけは?

2011年の大震災が、やっぱすごく自分自身を大きく変えた。それまでただアウトドアが好きで、綺麗な星の下に行くとか、自然の森の中でテント張って寝るみたいなことをやってきた。だけど、震災の時、たくさんの人が亡くなったり、世の中ってこんなふうに一瞬でなくなっちゃうんだなと、無情な気持ちになるんですよ。どんなにいいお家に住んでても、どんなに車に乗ってても、どんなものを持ってても、もう止めようがないっていうか、抗いようがない。

外側に何を持つじゃなくて、知識とか、技術とか、人の内側に身につけないと、本当に生きていけないなと強く感じました。自分の体を守るとか、水を確保するとか、火を熾すとか、それまでは自分の中で当たり前のことを、より多くの人たちに共有しないと思いましたね。

— UPI鎌倉で毎月開催している「スタディトレッキング」というワークショップは、まさにこういう災害時に役立つ知識を広めるためですね。

そうです。ただ、現状は1ヶ月に1回で、僕一人だと、一年で72人。僕は10年これを毎月やっても720人の命が救えないのかっていうふうに思って、この10年間ずっと模索しているんですよ。

実はこのインタビューに来る前に、防災会社とミーティングがあった。2011年以降は、日本中の会社とか学校とか、官公庁とか大抵防災用品をある程度備蓄しなきゃいけないですね。だけど、皆防災用品を持ってても使い方がわからないとか、使ったことないとか、何に使えるのか知らないってその防災会社が気付いた。要は物を販売するんじゃなくて、知識を広めないと物が活かされない。

ライフライン(電気、水道、ガス)が止まったときに、町都市部に暮らす人に住んでる人たちが、どうやって自分の命を守れるのか、どうやって安全に火が熾せるのか、そこに何かアイディアとか知恵が欲しいって防災会社に言われて、スタディトレッキングとはまた違うプログラムを今作ってるんですよ。

そこに向けて、それを教える先生たちのトレーニングを始めました。僕みたいな人を増やして、、日本中のマンションとか企業から依頼を受けて、そういうところに教えていく。

— プログラムのテーマは?

テーマは「衣食住」です。衣食住っていうのは人が暮らすための必要条件なんですけど、一番重要なのは、災害にそれを置き換えると優先順位になっていることです。

まず真っ先にやらなきゃいけないことは、体温を維持するため、服を着ることです。それは東北の震災で波に体だけ濡れてまだ生きてた人たちは、体温をちゃんと守れてたら、死ななかったかもしれないですね。

食は2番目です。一番わかりやすいのは、赤ちゃんが生まれたときにいきなり飲ませないよね。毛が生えてないので、まず柔らかい布に包んであげて、体温をキープしてから、いっぱい飲ませます。

住まうっていうのは、安心して寝れるような場所を作るので、最後です。

ぼくらのご先祖たちは、衣食住っていう順番で生きるためのノウハウを、この三つのワードに圧縮してバトンタッチしててくれた。その順番に合わせて守っていけば、もしもの時に難しくないし、怖くもないと思います。

今、「3 DOORS」(スリードアーズ)っていうプログラムを作っているのですが、衣食住ってそれぞれの「ドア」があって、参加者たちは自分の力で1個ずつ開けていく必要があります。それをマンションとか学校とか、都会で暮らしてる人たちにそのスリードアーズとして、衣食住をちゃんと身につけてもらって、その上でいろんな趣味のことがあったり、楽しいことがあればいいなって思っています。

これは寒川さんとの対談の一部です。そのあとは、寒川さんがなぜ火を焚くことは「一番人間らしい行為」と思っているか、現在何を一番楽しんでいるのかなど語り続けますので、ぜひポッドキャストで聴いてみてください!


Marco

寒川さんとの対話は、本当に多くのことについて考えさせられました。知りすぎると、本能が弱まるかもしれませんが、同時に、知らなさすぎることは、緊急時にもっとうまくできたかもしれないことについて無知であることでも言える。自分や大切な人の命を守るために、どのように災害に備えればいいのか。道具や技術に頼りすぎず、どこに実験の余地を残せばいいのか。これらは、アウトドア好きな人に限らず、すべての人に関係する問いだろう。

 
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